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お墓参り [出来事]

コロナが猛威を振るっている中、先日高校の友達のお墓参りに行ってきました。



彼女とは高校で仲良くなり、同じ専門学校に行き実習やボランティアも

一緒に行く中でかけがえのない友人の一人になりました。



そんな彼女が乳がんで亡くなったのはもう20年(厳密には19年)。

結婚して菩提寺が栃木にあり、東京育ちで東京に住んでいた彼女に

とっては見知らぬ場所に眠ることになり寂しいだろうなぁと

当時は高校の友人たちと小旅行の気分でお墓参りに毎年行ってました。



でも歳が経ち、私たちもそれぞれ体調や家庭の事情などで

毎年は行けなくなってきて、それでも数人で続けて行ってましたが

10年過ぎたころからは数年に一度になってしまいました。



3年前、乳がん検診を予約が取れないから諦めようとしていた時、

ふと、彼女の「乳がん検診だけはちゃんと受けてね」と言っていた

言葉を思い出し、唯一の約束を破るわけにはいかないと思って受けた

検診で癌が発覚。



3年経ち、今のところ再発も転移もなく過ごせているのは

まぎれもなく彼女のおかげと私は思っています。



あの時検診を受けずにあと2年後・・・なんて悠長なことしていたら

今の私ではなかったはずです。



コロナ前の2019年春に、乳がんの手術をするよ、と一人でお墓参りに行き

報告していたので、今も元気に生きてるよ、ともう一度報告したくて

先日も一人で行ってきました。



30代で亡くなってしまった彼女にしてみたら、50過ぎてそろそろ60代が

見えてきた私を「どこのばーさんがお墓参りに来たんだろう?」って

思っているかもしれないなぁ…と思いつつ、コロナの状況もあるけれど

私は出来るだけお墓参りを続けたいと思っています。

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検診 [乳癌]


去年8月のマンモで何か映っているけれど、たぶん良性だから心配ない・・・と

主治医に言われて、3か月後にエコー検査をすることにしました。



本来のポジティブシンキングに加えて、なんだかノーテンキな性格の私としては

乳がんになってもたぶんなんとなくきっと何事もなく5年が過ぎて

再発なしで元気に生きていけるだろうと根拠もなく信じていたので

正直マンモに何か映ったというだけでちょっとビビってました。



もともと9割方良性腫瘍だと言われながら実は癌でした・・・と言う

経験上、良性腫瘍と言う言葉にも信用がなかったりします(^^;)



でも専門医の主治医の事を信用しているので、きっとこの先生が言うなら

良性なんだろうと信じる気持ちと、去年のマンモグラフィーで映っていたと

先生は言うけどそんな話聞いてないし…と納得できない気持ちと入り混じって

この3か月間いろいろ考えてしまった。



息子たちは30過ぎて家庭もあり、何の心配もしていない。

だから自分が死んでしまってもその点に心残りはない。

だけど、癌になったと言っただけで私が死ぬのではないかと心配して

お寺周りや神社で祈祷してもらっている80手前の母を思うと

その母を悲しませたくないと思いで気持ちが揺らぎます。



また旦那とはすごく仲が良いというわけではないけど、年子の息子たちが独立してからは

もう10年近く夫婦二人で猫と一緒に生活していて昔は喧嘩もしたし浮気もされたし

離婚したいと切実に思ったこともあったけれど、いまはそれなりに幸せ。



その旦那がこの10年、何度も入院手術を繰り返す私を支えてくれたのに

癌だとわかった時はすごく取り乱していた。



うちの旦那は妻を亡くして後を追うような繊細な人ではないけれど

乳がんになったと話した時は受け入れられなくて動転していたのが

よくわかったからとりあえずこの人を残して先に死ねないな…とその時思いました。



そんなことをいろいろ考えながら受けたエコー検査はあっけなく終わって

癌の時とは全然違いました。

これで少し安心して、その後の診察で「嚢胞」でしたと言われホッとした次第です。

一応、癌化することはないですか?と聞いたけど、大丈夫と言うことだったので

とりあえず命はつながったみたいです。



告知も手術も覚悟が決まっていたから全然怖くなかったけれど

再発や転移は正直ほんとに怖い。

今回の経験で癌になるってこの先の人生で精神的に大きなリスクを

背負ったんだと改めて自覚しました。



2人に1人が癌になる時代で、こんな思いをしながら生き続けている人が

本当にたくさんいるんだと‥‥実感しました。


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生きてます 

股関節の手術をして12年。
人工股関節になってからも10年経ちました。

昔術式の検索をして、いろんな方々の闘病記などを読ませていただいていたけれど
中には癌になってしまったと・・・と書いてあった後、更新が止まって
気が付くとブログ自体がなくなっていてとても切なくなったことがありました。
今も元気で病と闘っていらっしゃると思いたいけど、そうでない可能性もある。

で、ふと私もそう思われても仕方ない状態かも…と思い、生存宣言させていただくことにしました。

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現在 [乳癌]

手術からあっという間の退院となり、一応術後一か月はパート先に頼んで
有給を使ってお休みさせてもらいましたが、なにしろ痛くないし辛くない入院だったので
帰宅後はいつもやれない家事をやりたくてウズウズ(笑)

でも母にきつく止められて最初の1週間は加減をしながら動いてましたが
翌週からはベッドをあげてマットを干したり、大型のカバー類の洗濯に
気になっていたキッチン周りの清掃に励みました(^o^)

3週間後には手術時に取ったリンパの生検の結果も出るので
それを聞きに行きましたがまだ完全に結果が届いてないということで
最終判決をもう1週延ばして聞きに行きました。

結果的にはガンは1.8㎝、リンパの転移もなく、ステージⅡと言われていたけど
最終的にはステージⅠと言うことでホッとしました。
なので抗がん剤はなしで、放射線治療に入りました。
週5で放射線を当てて、週2でお休みさせるの繰り返し。
それを5週間続けて見えない癌をたたくという治療です。

放射線も抗がん剤も増殖のスピードの速い細胞「癌細胞」をめがけて攻撃していく
治療だそうで、増殖の速い毛根細胞などが一緒に攻撃されてしまい抜けてしまうんだそうです。
放射線に限っては私の場合はとくに目立った副作用もなく、倦怠感も感じることなく
最終的に日焼けだけがすごかったと感じました。
脇から乳房にかけて広範囲が真っ赤と言うか、真っ黒になってしまって
鏡で見るとちょっとビックリです。
でもそれだけで済んだのは良かったのかもです。

現在(9/27)は放射線治療も終わってホルモン剤の飲み薬が始まりました。

閉経の定義が最後の生理が止まってから1年と言うらしいですが、私の場合
まだ1年経っていないのですが、年齢的には閉経してて当たり前の年齢なので
ホルモン剤も閉経後の物を処方されました。
まれにホルモン剤飲んでるのに閉経間もないと再開することがあるらしい・・・・。
それだけはご勘弁・・・・Σ(゚д゚lll)
やっと楽になったのだから、再開なんてことにならない様にだけ祈ってます。

思ったより苦しい辛い悲しいといったマイナス感情に襲われることなく
検診からガン宣告、入院手術、治療と駆け抜けてきた半年でしたが
このまま明るく病気と向かい合いながらまずは60歳還暦を目指します(現在55歳)

タグ:乳がん
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乳がん手術 [乳癌]

まずは母と夫の事(^_^;)

母は絶対泣くとわかっていたので、先に妹に連絡しておきました。
冷静に明るく話をするけど、たぶんその後いろいろ考えて
悲観的になっちゃう頃に妹に連絡してもらってフォローしてもらう。
思った通り、私が話しているときは深刻そうにしていたけど
泣いたり騒いだりしなくて、電話を切った後にワンワン泣いてたみたい(;^ω^)
親不孝で申し訳なかった・・・。

でもすぐに妹から電話してもらって、母をなだめてくれたみたい。
私も妹もかなり楽観的な性格なんだけど、母は思い悩むタイプで
実際今回一番頼りになったのは妹でした。
同性の姉妹がいるってほんとーに助かります。

そして問題は夫。
エコーの結果が出た時点でかなり落ち込んでましたが、現実逃避しちゃって
何かの間違いかもしれないから確定までは信じられないと(^_^;)

確定が出たら出たで患者本人より自分の殻に閉じこもっちゃって
出てくるまで治療の話も入院の話も出来ない状態。

なんで「私」が当事者でもない夫にこんなに気を使っているのか
自分でも不思議でたまらなかったけど、正直義母を亡くした時、
口には出さなかったけど義母への対応を後悔していて、もっとうまく
フォローしてあげられなかったのか・・・自分たち(義兄と本人)の
判断が間違っていたのではないか・・・そんな風に見えました。

だから妻がガンと分かって混乱したのかもしれません。
(私オトナだわ/笑)

結果的には実際入院するまで夫の頭の中はずっと混乱状態で
入院日も手術日も説明したのにまったくの記憶違いをしていて
仕事の予定もグチャグチャでまったくなにやってんのよ・・・って
┐(´д`)┌ヤレヤレでした。




結局乳がん検診から3か月かかってやっと「乳がん」と断定されたのですが
それからは早かったです。

ずっと診てくれてた外科ぶちょーさんは「専門医に替わりますので」と言って
都内のブレストセンターのある大きな病院から来ている専門医に主治医が変わりました。

年配の穏やかな先生で、ちょっとばかりこの病院に対して不信感を持っていた私は
セカンドオピニオンを考えていたのですが、最初の診察での印象が良かったので
この先生に診てもらうために病院は変わらないことを決めました。

話は逸れるけど、医師と患者って基本対等じゃなきゃ成り立たないと思ってます。
だから病気に対して自分も真剣に考えて向き合いたいし、医師から進められるがままの
治療にはしたくないという気持ちが大きいです。

癌かもって思った時からいろいろ調べてきて、亡くなった友人の時と比べても
現在は医療も進んでいて特に乳がんに関しては治療のガイドラインが明確に決まっていて
調べれば調べるほどある程度の道筋は素人なりに理解できました。

だからこそ、知らないふりして医師がどれだけ患者に寄り添ってわかりやすく
説明してくれるが重要で、私の主治医は絵本のような冊子を手に詳しくわかりやすく
説明してくださいました。
この時点で自分の選んだ先生に間違いない自信がわいてきて、治療に対しての不安は皆無でした。

医師との相性は他人からの評価とは相反することもあり、股関節の主治医は誰もが
イイ先生だとは言ってくれなくなってしまいましたが、それでも私にとっては
かけがえのないもう一人の主治医です。

話は逸れましたが、最初の診察の時点で癌であることは間違いなかったので
すぐに骨シンチと腹部胸部CTといわゆる術前検査のもろもろの予定をテキパキと
入れてくれて、手術予定も私の都合に合わせて7月初めに決定しました。

入院は1週間と言われてました。
手術は非常勤医師の主治医によるものなので、担当の月曜日の午前が手術、
午後が診察と決まっていて、月曜日手術なので手続き上入院は金曜日になります。

なので前回の股関節の時のように「入院は術後1週間」と勝手に判断していたのです。
だから職場にもたぶん10日間くらいの入院になると思うなんて言ってました。

でも金曜日に入院しても点滴もないし検査も終わっているし、やることなくて
1日ずっと本読んでいたら池井戸さんの「ノーサイド・ゲーム」を翌朝までに
読み切ってしまいました。

土曜日の朝、今日は何してようかとボーっとしていたら朝の回診時に
「今日帰宅する?」と医師が言う。
・・・・あ、手続き上平日にしか入院ができないからあとは帰っていいんだと
理解したので、朝ご飯後に外泊手続きを取り、夫に迎えに来てもらって帰宅(笑)

猫たちと過ごし、翌日は次男夫婦が孫を連れて遊びに来てくれて
賑やかに土日を過ごして、日曜日の夕食後に病院に逆戻り。

手術前は不安で眠れないと思われて「眠剤だそうか?」と親切なナースさんが
言いますが、手術も3回目になったらある程度やることわかっていたのて゛
丁重にお断りし、テレビドラマのノーサイド・ゲームを見ながら寝てしまいました。
朝までぐっすり寝起きもすがすがしく、まさかこの後手術だとは自分でも
信じられないほどの落ち着き・・・・(笑)

母と妹と夫が見送る中手術室へGO!!

終わった後も股関節の時のような激痛もなく、全麻のため起き上がってはいけないと
いうのが唯一辛かった。
お腹もすいたし、動けないから腰も痛いし、ある意味元気な辛さがありました。

術後1日で病室に戻ると、あとはご飯も食べれて動け動けと勧められるので
点滴棒を持ちながらカラカラと病院内をうろつく。
夕方担当医(主治医は非常勤なので当病院の医師が担当に付く)が明日で点滴が
終わるので退院してもいいけどどうする?と聞く。

いやいや・・・えー???

確かに思ったより痛くないし、辛くないし、股関節の時に比べたら
何もしてないくらいにマイナス要素が全くないのも真実だけど
術後2日で退院ってあり?とちょっと動揺してしまって、じゃあ明後日で・・・と
微妙に1日延ばして術後3日で退院。

これで一応入院1週間(笑)

実質的に丸1日病院にいたのは金、月、火の3日間だけで
聞いてはいたけど、今の医療ってすごい・・・と思いました。
タグ:乳がん
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